花屋彦兵衛のはじまりのはじまり

前回のつづき

花屋彦兵衛とは、東京二子玉川の「メゾンフルーリ」のフローラルデザイナーの佐々木久満が長野県松本市にオープンしたコンセプチュアルショップ。

野の花や季節の花木を盆栽や苔玉、苗、アレンジメント、花束にして販売するお店。

佐々木の生業はフローラルデザイナーとは体よく言ったもので、普段は町の花屋さん。ところが、大きなディスプレイの仕事や雑誌のお仕事を頂くと一気にフローラルデザイナーに早変わり(笑)

普段はお店にいても、お花のレッスンをしてることが多いので、「センセ」と呼ばれることが多い(笑)

余談でしたが…

さてさて、「花屋彦兵衛」どうしてオープンしたのか?は、前回の記事の通り。きっかけは、ひょんなことでやって来ます。

 

たとえば、庵の号のような名前の風庵、分かりやすい名前の野乃花 司はたまた、本当に昔ながらやってるお店は花政、花弘、花粂、花米、花久…お店の名前は色々あります。そんな中、なぜ僕(佐々木)は「花屋 彦兵衛」としたのか。

元々構想自体はあった。「花屋 彦兵衛」だから、昔で言えば、「花彦」となるのだろうか。

元々の「彦兵衛」さんとは…

江戸の末期から明治、大正と激動の時代を歩んだ、呉服商「大黒屋 彦兵衛」から頂きました。

「大黒屋彦兵衛」本名は、野口彦兵衛といいます。

まずはお名前を頂戴した、「彦兵衛さん」とは?そんな話は、また次回。

つづく

 

花屋彦兵衛オープンの回顧録

「花屋彦兵衛でございます」で始まるInstagramとFacebookページの投稿。

実は連動をしているのですが、この「花屋彦兵衛」は花屋彦兵衛の店主である僕(佐々木久満)が20代のころからぼんやり温めていた構想。

和風花店といえば、銀座の野の花司や風庵など東京ではすでに有名店があった。

そことは、一線を画し、何かやりたいと漠然と思っていた20代。

妄想だけが膨らんだ30代…

そして実現した40代。

昔、松本のレッスン生だったコから、「先生、蔵の花屋さんやりませんか?」とお誘いいただいたのがおととしのこと。

いくつもの蔵が敷地に建つ、穂高家の母屋の土間。

ちょうど松本に店を出して10年。

新たな転機をいただいたともい、頑張るきっかけを作ってくれました。

キーワードは、「安政5年の蔵」。

実際は「安政五年」の蔵もあれば「明治初期」に建った蔵もあるらしい。江戸から明治に時代が代わる頃の蔵なんて、なんて良いめぐりあわせなんだ!

お話をいただいたときはそう思いました。

ところが、安政五年・・・

安政5年(1858年)
福沢諭吉が蘭学塾(慶應義塾の前身)を創立。
2月26日(4月9日): 飛越地震。北陸地方で大きな被害。
3月12日(4月25日): 朝廷で日米修好通商条約の反対を巡り、廷臣八十八卿列参事件が起こる。
6月19日(7月29日): 江戸幕府、日米修好通商条約始め、安政の五か国条約に無勅許調印。
9月5日(10月11日): 大老井伊直弼による反対派弾圧が始まる(安政の大獄)。
〜安政7年にかけてコレラが大流行。(Wikipediaより)

な、なんと、日本が動く真っただ中ではないか!?

しかし、僕(佐々木)にはちょうど良いかもな~なんて激動をつづる花屋彦兵衛もこういう運命かぁ・・・なんて、思いながら、店を作ることに決めました。

 

つづく