• メゾンフルーリ ワークス

    西武渋谷店イベント終了しましたー!!

    さてさて、お仕事のご紹介。

    メゾンフルーリの佐々木は2月から3月16日までにかけて、渋谷駅近くの西武渋谷店にて一人作品展を開催しておりました!

    実際には作品展の体を取らせていただいた、非常に良い機会を与えて頂きました関係者各位に厚く熱く御礼申し上げますm(__)m

    超ロングランの作品展でしたが、ディスプレイを会期末に向けて緩やかに変化させていく、というものでして、劇的な変化をさせるわけではないにしろ、ゆっくりゆっくり変わっていくというやり方をしました。

    ですから日々西武渋谷店に来店すると、あ、ここに花が咲いてる!とか、木が増えた!とかそんなことを感じていただければなぁとデザインを興しました。

    もともともらったテーマが『和の文化』でも、「いけばな」ではない。

    日本を感じるような要素をデザインの中に取り入れ、西武渋谷店テーマである「art meets life」というお題に乗っとり、コーディネートすることが命題でした。

    暮らしの中で芸術と出会う

    植物で日本を感じさせるけど、いけばなにはしない…

    このテーマでどんなものを作り上げるか?これが今回取り組んだ作品ひとつひとつ。

    そこからどのような展開で、どうしたのか?はまた次回へつづきます。

     

  • 未分類

    彦兵衛さんとは

    信州松本・和の花「花屋彦兵衛」でございます。

    さて、前回の続きですが、花屋彦兵衛の屋号をいただきました「大黒屋 野口彦兵衛」とは、どのような方か。

    親しみを込めてまたリスペクトを込めて、ここでは「彦兵衛さん」とお呼びしますが、江戸時代末期、江戸の呉服商では知らぬものが居なかった、というくらいの呉服商でした。

    いま、分かりやすい彦兵衛さんのプロフィールや作品解説は、東京国立博物館の学芸員ブログに記載があります。

    ↓参考記事 東京国立博物館ブログ

    https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2015/07/28/%E5%A4%A7%E5%BD%A6%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A8%E9%87%8E%E5%8F%A3%E5%BD%A6%E5%85%B5%E8%A1%9B

    明治から大正にかけて活躍した呉服商「大彦」こと大黒屋・野口彦兵衛(のぐちひこべえ、1848~1925)

    (東京国立博物館ブログより抜粋)

    生まれた年は1848年は弘化4年改め嘉永元年といいますから、江戸も末期となります。

    その彦兵衛さんは、日本が激動の時代に突入する時代を共に歩んだようです。

    江戸両国で生まれた彦兵衛は、幕府御用達で名の通った呉服屋に奉公し、呉服問屋大黒屋幸吉に見込まれて、婿となります。

    参考記事↓大羊居

    https://www.taiyoukyo.co.jp/about.html

    そして、暖簾分けをして「大黒屋彦兵衛」すなわち「大彦」と名乗ることとなるのです。

    彦兵衛はもともとは、河村彦兵衛といい、侍の子でした。幕府の下級役人だったとも言われております。そこから、転じて、商いの道にはいります。

    そして、メキメキと頭角を表していくのです。

    彦兵衛さんは、明治20年代~明治30年代にかけて、いまに伝わる東京国立博物館の大彦小袖コレクションとなる江戸時代の小袖を収集いたしたようです。詳しくは東京国立博物館のブログを参考にしていただきたいのですが、

    収集した小袖を分別し、研究。そして、自らが大胆で斬新なデザインを、考案していきます。

    その姿は、呉服商を飛び越えて、呉服における工芸家として飛躍するのです。そして、当時、呉服の新作と言えば京都でしたが、東京でも新たな制作ができるということで、後に東京友禅といわれるまでになります。

    この、彦兵衛さんの過去の呉服の歴史を分析し、伝統的な手法を大切にしながらさらに新しい構図や発想で、新たな境地を切り開いていきます。

    この彦兵衛さんの工芸家としての姿勢に、今風でいえば、インスパイアされて、店の名前を「花屋彦兵衛」とさせて戴きました。

    彦兵衛さんから言えば本流(野口本家は染繡工房 大彦染物研究所、染繡工芸 大羊居として現代でも活躍しております。)ではなく、亜流の「花屋彦兵衛」オーナー佐々木久満ですが、彦兵衛さんの心意気を僅かでも感じながら稼業の花店を経営する次第です。

    つづく

  • 二子玉川本店の様子

    なんと!送料無料!

    二子玉川の花店「メゾンフルーリ二子玉川本店」からのお知らせです。

    巷では卒業式や入学式がなくなってしまったり縮小してしまったりと言うことが話題ですが、でも、ちょっと待ってください。

    卒業式卒園式や入学式入園式がなくなったとしても、御祝いの気持ちは変わらないはず。

    卒業卒園おめでとう!

    入学入園おめでとう!

    そんな気持ちは、例え式がなくなったとしても、是非、御祝いして上げてください!

    メゾンフルーリ二子玉川本店では、卒業卒園おめでとう!入学入園おめでとう!は、お渡ししたいお子さま宛に、花束をお送りいたします。

    そして、なんと!!

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    メゾンフルーリ二子玉川本店では、そんなお子さまたちに花束をお送りしたい!というお客様のご要望にお応えしまして、卒園卒業・入園入学の御祝いのお花を、お子さまのご自宅に送りたい場合は、サービスさせていただくキャンペーンを実施しています!

    もう一度繰り返します!

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    どうぞよろしくお願いいたします!

    m(_ _)m

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  • 時代花屋 彦兵衛

    花屋彦兵衛のはじまりのはじまり

    前回のつづき

    花屋彦兵衛とは、東京二子玉川の「メゾンフルーリ」のフローラルデザイナーの佐々木久満が長野県松本市にオープンしたコンセプチュアルショップ。

    野の花や季節の花木を盆栽や苔玉、苗、アレンジメント、花束にして販売するお店。

    佐々木の生業はフローラルデザイナーとは体よく言ったもので、普段は町の花屋さん。ところが、大きなディスプレイの仕事や雑誌のお仕事を頂くと一気にフローラルデザイナーに早変わり(笑)

    普段はお店にいても、お花のレッスンをしてることが多いので、「センセ」と呼ばれることが多い(笑)

    余談でしたが…

    さてさて、「花屋彦兵衛」どうしてオープンしたのか?は、前回の記事の通り。きっかけは、ひょんなことでやって来ます。

     

    たとえば、庵の号のような名前の風庵、分かりやすい名前の野乃花 司はたまた、本当に昔ながらやってるお店は花政、花弘、花粂、花米、花久…お店の名前は色々あります。そんな中、なぜ僕(佐々木)は「花屋 彦兵衛」としたのか。

    元々構想自体はあった。「花屋 彦兵衛」だから、昔で言えば、「花彦」となるのだろうか。

    元々の「彦兵衛」さんとは…

    江戸の末期から明治、大正と激動の時代を歩んだ、呉服商「大黒屋 彦兵衛」から頂きました。

    「大黒屋彦兵衛」本名は、野口彦兵衛といいます。

    まずはお名前を頂戴した、「彦兵衛さん」とは?そんな話は、また次回。

    つづく

     

  • 時代花屋 彦兵衛

    花屋彦兵衛オープンの回顧録

    「花屋彦兵衛でございます」で始まるInstagramとFacebookページの投稿。

    実は連動をしているのですが、この「花屋彦兵衛」は花屋彦兵衛の店主である僕(佐々木久満)が20代のころからぼんやり温めていた構想。

    和風花店といえば、銀座の野の花司や風庵など東京ではすでに有名店があった。

    そことは、一線を画し、何かやりたいと漠然と思っていた20代。

    妄想だけが膨らんだ30代…

    そして実現した40代。

    昔、松本のレッスン生だったコから、「先生、蔵の花屋さんやりませんか?」とお誘いいただいたのがおととしのこと。

    いくつもの蔵が敷地に建つ、穂高家の母屋の土間。

    ちょうど松本に店を出して10年。

    新たな転機をいただいたともい、頑張るきっかけを作ってくれました。

    キーワードは、「安政5年の蔵」。

    実際は「安政五年」の蔵もあれば「明治初期」に建った蔵もあるらしい。江戸から明治に時代が代わる頃の蔵なんて、なんて良いめぐりあわせなんだ!

    お話をいただいたときはそう思いました。

    ところが、安政五年・・・

    安政5年(1858年)
    福沢諭吉が蘭学塾(慶應義塾の前身)を創立。
    2月26日(4月9日): 飛越地震。北陸地方で大きな被害。
    3月12日(4月25日): 朝廷で日米修好通商条約の反対を巡り、廷臣八十八卿列参事件が起こる。
    6月19日(7月29日): 江戸幕府、日米修好通商条約始め、安政の五か国条約に無勅許調印。
    9月5日(10月11日): 大老井伊直弼による反対派弾圧が始まる(安政の大獄)。
    〜安政7年にかけてコレラが大流行。(Wikipediaより)

    な、なんと、日本が動く真っただ中ではないか!?

    しかし、僕(佐々木)にはちょうど良いかもな~なんて激動をつづる花屋彦兵衛もこういう運命かぁ・・・なんて、思いながら、店を作ることに決めました。

     

    つづく