彦兵衛さんとは
信州松本・和の花「花屋彦兵衛」でございます。
さて、前回の続きですが、花屋彦兵衛の屋号をいただきました「大黒屋 野口彦兵衛」とは、どのような方か。
親しみを込めてまたリスペクトを込めて、ここでは「彦兵衛さん」とお呼びしますが、江戸時代末期、江戸の呉服商では知らぬものが居なかった、というくらいの呉服商でした。
いま、分かりやすい彦兵衛さんのプロフィールや作品解説は、東京国立博物館の学芸員ブログに記載があります。
↓参考記事 東京国立博物館ブログ
明治から大正にかけて活躍した呉服商「大彦」こと大黒屋・野口彦兵衛(のぐちひこべえ、1848~1925)
(東京国立博物館ブログより抜粋)
生まれた年は1848年は弘化4年改め嘉永元年といいますから、江戸も末期となります。
その彦兵衛さんは、日本が激動の時代に突入する時代を共に歩んだようです。
江戸両国で生まれた彦兵衛は、幕府御用達で名の通った呉服屋に奉公し、呉服問屋大黒屋幸吉に見込まれて、婿となります。
参考記事↓大羊居
https://www.taiyoukyo.co.jp/about.html
そして、暖簾分けをして「大黒屋彦兵衛」すなわち「大彦」と名乗ることとなるのです。
彦兵衛はもともとは、河村彦兵衛といい、侍の子でした。幕府の下級役人だったとも言われております。そこから、転じて、商いの道にはいります。
そして、メキメキと頭角を表していくのです。
彦兵衛さんは、明治20年代~明治30年代にかけて、いまに伝わる東京国立博物館の大彦小袖コレクションとなる江戸時代の小袖を収集いたしたようです。詳しくは東京国立博物館のブログを参考にしていただきたいのですが、
収集した小袖を分別し、研究。そして、自らが大胆で斬新なデザインを、考案していきます。
その姿は、呉服商を飛び越えて、呉服における工芸家として飛躍するのです。そして、当時、呉服の新作と言えば京都でしたが、東京でも新たな制作ができるということで、後に東京友禅といわれるまでになります。
この、彦兵衛さんの過去の呉服の歴史を分析し、伝統的な手法を大切にしながらさらに新しい構図や発想で、新たな境地を切り開いていきます。
この彦兵衛さんの工芸家としての姿勢に、今風でいえば、インスパイアされて、店の名前を「花屋彦兵衛」とさせて戴きました。
彦兵衛さんから言えば本流(野口本家は染繡工房 大彦染物研究所、染繡工芸 大羊居として現代でも活躍しております。)ではなく、亜流の「花屋彦兵衛」オーナー佐々木久満ですが、彦兵衛さんの心意気を僅かでも感じながら稼業の花店を経営する次第です。
つづく
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